第59話    「づく無し釣士の横行」   平成17年05月22日  

「何時の世もづく無し釣士が多いものだ!」と嘆くのは自称正統派の釣士の人達であった。づく無しとは、広辞苑によれば億劫とか気力が無いと云う意である。先客がせっせと撒餌をしてやっと魚が集まって来て、魚が釣れ始めると何処からともなく蝿の如くに周囲を他の釣り人に取り囲まれると表現している。昭和初期の土屋鴎涯の「時の運」の中でその事情を書いてボヤいている。そんな事は平成の世になっても、一向に改まらないどころかますますエスカレートしている。非常に残念なことだ。

釣りは本来個人が楽しむ為のもので、他人の釣を邪魔してまで釣をしてならない。釣れない自分が、他人が釣れているのを見て思わず自分も釣れるのではないかと思って寄って来る気持ちは分からないでもない。が、しかしせっかく他人が撒餌をして集めた魚を苦労せずに自分もご相伴に預かろうなんてェ根性は、釣り人のマナーとしては決して誉められたものではない。釣りをする資格などサラサラない。

自分も逆の立場になって考える余裕のない人達が、そのようなことをするのに違いないと思う。自分も過去にそのような事を幾度となく経験して来た。酷い時になると自分の竿の置き場さえなくなることさえあった。仕掛けを直していると自分の頭の上からも竿を出している者さえ居たこともある。何も云わなければそんな行為はますますエスカレートし、自分の釣っている場所さえ危うくなる。

一番酷かったのは二人で象潟の小さな防波堤に秋タナゴ釣に出掛けた事である。先端の僅か4m程の場所に123人からの釣り人に囲まれた事があった。その年は暖冬で12月に入っても比較的波も穏やかな日が続き、早朝の530分に釣を開始した。当地の初冬の秋タナゴ釣りは、イサダと云う砂浜に居るコアミのようなプランクトンの生きたものを使って釣れる。コマセも餌もそのイサダを使用する。生き餌のためコマセは海岸の砂と一緒にポイントに投入するが、タナゴは生きたイサダが逃げるので必死に喰らい付く。やがて魚は夢中になり、針に付けた生き餌のイサダにも簡単に喰いついて来るので入れ食いとなる。余りにも簡単に釣れているので、周囲の釣り人達は、自然と集まって来た。イサダ釣りの場合、餌の異なる釣り人には、釣れぬ事はないが、まず殆んど釣れる事はない。こちらの二人が10枚釣れた時に、小エビを使っている人でやっと12枚釣れるかどうかで。小さなオキアミを使う人では、その効率は更に低下するのが落ちだ。虫餌に到っては更に効率が悪く殆んど釣れはしない。釣れ方が最高潮に達すると、防波堤の海面スレスレの段差の下からも、竿を出す者も現れ、こちらの竿が出せない状態になった。注意をしても、餌の交換をしている隙にまたいつの間にか自分のポイントを占領されていた。


昨年の秋、酒田の旧港内で小型黒鯛を23時間余りで2日続けて15枚から20枚釣った時がある。その時は周囲に人が少なかった事もあって45人程度の釣り人に囲まれただけであったが、その翌々日からはその場所は毎回10人くらいの釣り人に囲まれての釣りになった。来る度に人が増えていくので自分の釣場を放棄せざるを得なくなり、別の場所へと移動した。後で聞くと20kmばかり離れた鶴岡の釣り人の間に、その場所で黒鯛の二、三歳が上がっていると評判が立っていたから人が集まったのだと云う事を知らされた。ただ鶴岡の釣り人達の多くは、マナーが良く近くに集まって来ても人の邪魔をしないので助かる。この時は人の釣りを邪魔する人は居なかった。だが、隣の人との間隔は1mほどである。でも「隣で釣ってもいいですか?」との断りはあった。そう云われれば悪い気はしない。物も云わずに当たり前のように入ってくる者等ははいなかった。

皆で楽しく釣をする事が理想であるが、釣り人は各自撒餌や餌、仕掛けを自分なりの工夫を行いその結果、釣果に差を出している。その差が分からない釣り人達が、こと更に釣れている場所に集まりたがる傾向がある様に思う。

英国を初めとしたヨーロッパでの釣りは主にジェントルマン(紳士)と呼ばれた上流階級の遊びであった。だから、管理釣場のような川などで一定のルールがあっての釣で腕を競った。ところが日本では武士と云う上流階級からの釣に始まり、やがて一部の富豪、豪商に拡大、それが江戸の太平の世が続くに従って庶民の釣として急速に広がった。その為に紳士の釣としてではなく、どちらかといえば庶民の釣として釣が発展した事で、何でもありのこのような状況を招いた一因ではなかったかと考えられる。

高齢化社会の結果、時間と暇を持て余している人達の釣人が最近目立っている。そんな人達は会社、社会での経験があり、全部とは云わないが比較的マナーが良い者が多い。しかし比較的若年層にマナーを知らぬ者が少なからず見受けられるのは、非常に残念である。日本の将来を考える時、こんな事で良いのかと思う事が多々ある。